代表取締役 山岡大祐 1931(大正2)年生まれ。

土佐典具帖紙との出会いが契機となり創業。ヘイワ原紙の名が全国に席巻!

 大正デモクラシーと技術革新の幕開きの時に人生が始まった。2度召集され戦地に赴き、戦時中は風船爆弾の生産に従事する。
 特許第一号は和紙の自転車チューブ。会社を創立するまでに28の特許を取得するほどのアイデアマンだった。「何にでも興味を示し、いったん取り組むと、とことんこだわる」――息子が語る父の姿である。
 23歳、製紙会社に入社し、土佐典具帖紙と出会う。当時、土佐典具帖紙の95%がタイプライター用紙として欧米に輸出されていた。戦後はGHQと直接交渉するなどの大役を任され、土佐和紙の海外貿易の要として活躍する。土佐典具帖紙生産連合会が発足し、専務理事として生産に奔走するが、4年ほどするとマニラ麻のタイプライター用紙にとって代わり、土佐典具帖紙の輸出は途絶え連合会も解散へ。
 1949(昭和24)年、「靭皮パルプ研究所」を設立し、コウゾの加工工程を近代化させる技術を開発し、加工品を製紙会社に販売する。さらに企業の安定のためにはタイプ原紙の加工までを目指し研究を重ねる。1954(昭和29)年、タイプ原紙を完成させ、有限会社孔版原紙研究所として創業する。
 3年後、工場を焼失するという試練にあうが、1週間もしないうちにビニールハウスで仕事を再開させる。不屈の精神と人の支援で窮地を乗り切る。
 印刷技術革新の波に乗り、タイプ原紙を扱う代理店を全国各地に開拓し、全国展開へと飛躍させる。
 「平和なくして繁栄なし」を社是とし、1970(昭和45)年、株式会社ヘイワ原紙と社名を変更。「時代の流れから学ぶ」が基本スタイル。昭和58年、70歳で息子に代表を任せ、「山岡表装店」を設立する。趣味の盆栽は、中学卒業後、大分で4年ほど修業をした経験があり、プロ級の腕前。
著書『和紙と共に七十五年』(2007年)